10.27.2009

久しぶりの大阪、梅田。




梅田での阪急百貨店のパワーはすごいと思います。
立替中の阪急梅田ビルを見て梅田周辺は不況の中でも活気があると思った。百貨店の中も人々で賑わっていたように思う。あまり百貨店には行かないので他の百貨店と比べられないけれども。

しかしながら、百貨店業界で見ると経済の停滞で売り上げは12年連続で落ち込んでいるとのことで、スーパーやコンビニも同様に不振の様子です。購買の元である収入が上がらないということもありますが、インターネットの普及も原因のひとつだと思います。ネットでの購入は便利で価格面でも一歩抜けていることが多いのですが、もうひとつ、買い物選びにあまり失敗しなくなったということもあるのではないかと思います。インターネットで商品の評価が客観的に捕らえ易くなったことは購入側にとっては本当にありがたいことですが、特に実店舗の販売側にとっては減収につながっているのかもって思います。

この間久しぶりに靴を買いに京都市内の店に行ってみました。靴はインターネットではちょっと選びにくいということもあったので。販売員に聞いてもその靴の良いことしか言ってもらえないし、長時間の履き心地が少し不安でしたが形が気に入ったので買いました。やはり、後日それを履いて外出したときかなりの靴づれで帰りはタクシーに乗って帰りました。形が気に入っているので仕方ないという気持ちですが、買うときにある程度分かっていれば初めから覚悟できるし、あるいはもっと別のものを選んだかもしれません。近いうちもっと履き易くていいものを見つけたらすぐに買ってしまうのではないかと思います。靴業界にはいいことですよね。
次からは店で買わないといけないものも十分インターネットで下調べしてからにしたほうが賢いですよね。

10.09.2009

空気人形という映画

日本で住んでいる私にとって、最も今を現わした映画だとおもったし、ずっと感じて来たことを最もストレートに、直視しさせてくれた、つまり、何も隠し事も無く今自分達が直面していることを現わしていると思った。この今の世界での新たな挑戦の示唆になると思う。

自分の誕生はこの世に意味があるのか、みんなに歓迎されているのか。それとも、みんな感情のない空気人形として、意味を考えたりせずに単純に仕事をして生きて行くことが利口な生き方なのだろうか。

私は可能な限り意味を見出だして生きて行くことが感情をもつ人間として健康的で健全な生き方だと思う。それにはいろいろなチャレンジがあって、乗り越えて行く価値があるし、それを知らぬ振りをして生きて行く時間は無くさなければならないと思う。

どうすれば人間本来の生き方が出来るのか。それが出来ている人は生き生きとした輝きを持って生きていると思うし、そのためには、こころに、理想に繋がるイノベーションを起こして行かなければならないと考えています。お金と地位のためにそれを犠牲にすることが利口な生き方と割り切って活発に生きて行ける?そんな時代があったとしても、それは終わってしまったと思っています。

そういうことを考えたり感じたりするのに、この映画はあまりにもというか本当にストレートだった。

(後日)今日もう一度この映画を見た。あまりにも印象的だったし、自分にとってどういう意味があるのかもっと知りたかったから。主人公の空気人形はなぜ最後に自ら死を選んだのだろう。もう愛する人がいなくなってしまったからだろうか。理由は分からないが、私は彼女が感情を持ったことで空気的な存在から全く対極の存在にまで成長したのだと感じた。つまり、死というものさえ正面から接っし感じることのできる感情を持ち得たのだと。

映画を見ていて誕生日の話になったとき、今日は自分の誕生日でもあることを意識し、うれしくもなった。誕生について考えるすばらしい映画と日のめぐり合わせに。