9.07.2009

自分のこれから。

日本人はよく若くみえて年が分からないと外国の人に言われるが、多分みえるだけではないように思う。それは、これまで度々感じてきたことですが、昨日また、”あれっ、やっぱり”、て思ったのでここに書いて置こうと思った。

それは英会話練習のCDを聞いていた時でした。日本語の日常的な違和感のない普通の会話言葉で、そのすぐ後にネイティブスピーカによる同じ意味の英語を聞くのですが、そのとき日本人のしゃべり方が愛嬌のある可愛らしい感じなのに、外人のしゃべる話し方は日本人の日本語に比べて大人な響きだったのです。同じ意味のことをしゃべっても、みた目と同じように年の差を感じるのです。言ってしまえば、日本語会話のパート(特に女の子のパート)が悪い意味ではないけれど幼い感じがします。実際、私は日本人であるためか日本人のパートの方が楽しく聞けますし、そちらの方が好きです。大人な響きは面白くも楽しくもない。外人のパートが全部楽しく聞けないということはありませんし、臨場感もあってそれはそれで楽しく聞ける部分も多いのですが、子供な感じと大人な感じという日本とアメリカの特徴は全般的にあるのを感じました。

このことと今までの経験から、日本人の特徴と外人、例えばアメリカ人の特徴をイメージしてしまわずにはいれません。そう言えば日本とアメリカの政治家の演説も同じことが言えることを感じます。まず、普遍的な人の命とか権利、国のあり方といった土台となるものを日本人の政治家からは感じることが難しい。土台なしに目先のことに右往左往しているように見えます。土台がないので新しい時代にどうしていいのか分からず、今まで通りアメリカの土台の上で経済や他国との協調や社会福祉などについて小手先の政策を国民にアピールしているように感じます。また、例えば自民党は多くの国民が変革を望んでいるのにそれを察知できず、国民の考えを分かった自己改革ではなく民主党の悪口ばかり言っていたのは本当に子供っぽい。自己改革をしていくのに、閣僚を友達で固めるようなこれまでの首相は頼りなく感じます。アメリカのオバマ大統領は大臣を友達から選んだなんていうことはないように思うのですが。あれだけけなし合ったヒラリーさんをも互いに理解しあった上で重要なポストに就けています。

口調や見た目が子供っぽいのはまったく悪いことではないけれど、やっていることが幼稚で意味のないことであるというのはいいことではないと思います。友達と徒党を組んで安心できればそれでいいという気持ちは卒業しないといけないと思います。絶えず善なるもの、善なる精神に問い合わせる姿勢を土台に持って歩んで行けるよいうになりたいと思います。