7.09.2008

いのちはいつも生きようとしています。

先日、昨年の自殺統計が発表され今回の自殺総数も年間30,000人を超えたとのニュースを聞きました。この10年間連続とのことです。阪神大震災でお亡くなりになったのは5,000人くらいだったでしょうか。その6倍の人々が1997年以降毎年人生に嫌気がさしたのか命を絶つことを選んだと言うことです。

いのちはいつも生きようとしています。それを自ら故意に絶ってしまうのはその人の選んだことなのだからと放って置かれているのではと思ってしまうくらいに、根本的な原因にはそれほどには深く対応しようとはされていないのではないでしょうか。

こころと社会の問題に解決策を明示するのは難しいし、人それぞれの心の問題は同じものがないし、一般的な理屈では対応しきれないということの現われでしょうか。潜在的な自殺希望者は途方もなく多いのかもしれません。ということは社会全体が本来の人間の生きるということに適していない、不健全なものとなってしまっていると言うことだと思います。しかしその中で生きていかなければならない、そうすると何が必要かというと、ゆるぎない心の土台であり、しかもそれは健全で、善なる絶対的なものであり、それが少なくとも潜在的にこころにしみこんでいることがいいと思います。

突然会社から解雇されても、突然すべての財産を失っても、あるいは、突然手足を失っても、家族を失っても前向きに力強く歩んでいけることが大事なことだと思います。人よりも生産的な活動が出来なくても、人間らしく生きると言うことの意味には何の関係もないと。

大事なことは、神様から与えらたものを最大限活かし生まれた意味を全うしていくことであり、経済活動に人よりも多く貢献することではないと思います。それも大事なことですが順位はセカンダリであり、別次元に置かれるべきものだと思います。いつも善なるものに問い合わせ生を全うすること、それを土台として心身に染み込ませておくことが生きていく上でのプライオリティと言えるのではないかと思っています。