5.05.2009

『グラン・トリノ』 『レイチェルの結婚』

『グラン・トリノ』というクリントイースト・ウッドの映画を見ました。
すごい。監督・主演の歳を考えるとなおさら。多分80歳に近いと思います。
彼の映画に多いと思うのですが、暴力で物事を解決しなければならないある人物の心理状況を作り出して、その結果生じるかけがえのない人の死からその人の死の意味や尊さを思わせる内容になっています。死をもって愛する人、隣人のために戦うと同時に自分のトラウマに対して償う。社会生活に合わせることが下手だけれども純粋な良心を心の底に持ち続けている人。グレーゾーンで自分を誤魔化して生きなければならいことも多いけれども、それはその人の心の底にあるものを捨ててしまうことではあってはならない。純粋な部分で人生をあきらめるということはもはやある意味で死んでいるのと変わらない。生きてはいてもお金や物、社会的地位を中心とする(それらに振り回される)人生となってしまう。心に傷のある人、人生の意味を考える人はそれで誤魔化して生きていくことは出来ない。死ぬときに、それまで心の底にあり続けた本当の気持ちにたいして後悔したくないし、できないから。
『レイチェルの結婚』という映画も心に深い傷のある若い女性の話で、お姉さんの結婚式を通して、当たり障りのない見てくれ中心(主人公の目からはそう見えたのではないでしょうか)のソーシャルライフと自分のトラウマから逃げられず葛藤し生きていくことを対比している映画でした。
外見と心の内面とどちらを人生の中心に置くのか。どちらか一方だけで生きることは出来ませんが、人生の中心となる方をないがしろにすることはできません。『グラン・トリノ』のように命を懸けてでも貫き通す気持ちが人生を輝かしいものにするし、死ぬ時期に自分の人生をポジティブに眺めることが出来ると思いました。

0 件のコメント:

コメントを投稿